魯迅『故郷』を読む ― 「希望格差社会」の現代だからこそ
今日から、3年生の国語で魯迅・作 『故郷』を読みます。生徒たちにとっては、国も時代も異なる状況を理解し、主題を読み取るのはなかなか大変な作品です。しかし、竹内好氏の訳のすばらしさか、生き生きと描かれた主人公の回想場面に、みな引き込まれていきます。私自身、中学3年生でこの作品と出会ったとき、広大な西瓜畑の番をする主人公とルントウの様子や、獰猛な「チャー」の姿などが、月明かりの下で眼前に立ち上がってくるような気がしました。
魯迅は、この『故郷』をこう結んでいます。
まどろみかけたわたしの目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月が懸かっている。思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
主人公は変わり果てた故郷の姿に落胆し、孤独感を強めていきます。しかし、次の世代、甥のホンルとルントウの息子シュイションの結びつきを見て、次の世代に未来を託そうと考えるようになります。そして、ホンルたちが自分と同じ思いをしないためには、新しい生活が必要であると感じます。
当時の中国の国内情勢に失望感を覚えながらも、生活の夢と希望を求める作者の思いが、この作品の中につまっています。
山田昌弘さんが『希望格差社会』(筑摩書房)を出版したのは、2004年。職業・家庭・教育、そのすべてが不安定になり、リスク社会となった日本。「勝ち組」と「負け組」の格差が、いやおうなく拡大する中で、「努力は報われない」と感じた人々から「希望」が消滅していく……と、山田さんは指摘します。「希望が持てる人」と「将来に絶望している人」の格差は、年々広がるばかり……。
こんな社会だからこそ、魯迅『故郷』を噛み締めたいと思います。
私は、いつの時代も、「希望」を失ってはならないと思います。心が折れたら、人は一歩も前に進めなくなります。他の誰かと比べて一喜一憂し「希望」を喪失するのではなく、昨日の自分よりちょっと成長した自分を発見して、明日に「希望」を繋げたい。そんな生き方ができるように、今日も一歩一歩、歩いていきたいと思います。
